「不登校」という名前

「不登校」という呼び方、皆さんはどのように感じられていますか?

昔は、

  • 「登校拒否」
  • 「学校ぎらい」

という名称で呼ばれていたものが、学校を拒否したり嫌っている人は一部であるとのことから、国が提案して「不登校」と呼ぶことになりました。

 

提案の時点では「不」「登校」という状態像をあらわしていて、ニュートラルな言葉だという認識でした。

しかし「不」という言葉は、絶対的な否定の言葉ですので、マイナスイメージが強いですね。

そして登校することが、正道という価値観も見えます。

 

不登校の方にはこの言葉にしっくりいかない方が多く

  • 「ホームエディション」
  • 「ホームスクーラー」
  • 「自由登校」
  • 「家庭学習」

などを使われている方がおられます。

 

また、

「うちの子は登校を拒否しているので登校拒否なんです。」

という方も。

 

 

不登校は本当に色々な状況があります。

皆さんがしっくりくる呼び名があればそれを使われればいいですね。

 

 

 

 私の経験から

我が子が不登校だったとき、不登校という言葉自体には特に違和感を持ちませんでした。

が、他人に「学校に行けない」とか「来られない」と言われると

 

「いえ、行けないのでなく、行かないのです。」

 

と訂正していました。

 

当時、誰にも何もわかってもらえていないという気持ちが本当に強かった。

実際、同情する人はいても、わかってくれる人はいなかったです。

 

 これは、呼び名だけの問題ではなくて、そこについてくる気持ちや偏見が気になるのでしょうね。

 

〇学校は、大人になるまで通過点のひとつ

そもそも大人になる道筋を学校しか認めないこと自体が狭すぎます。

例えば目的地まで

  • 「電車で来た」
  • 「自転車で来た」
  • 「歩いて来た」

と聞いて

「へえ〜そうなんだ」

となる社会であるのが本来。

 

  • 電車で来たからいいとか
  • 歩いて来たからダメ

ということではないのです。

 

 

  • 「小中高と学校行きました」とか
  • 「私は家中心で、ネットで学習してました」
  • 「小学校は行きましたが、あとは通信教育です」

などなど道筋は色々あっていいのです。

 どれも、自分の足で人生を歩んできた証です。

 

 

けれど今の日本の教育制度は、学校に行くことが前提で、その他の選択肢は「例外扱い」です。
その制度の中で、「不登校」は「登校しない=問題」という構図で語られてしまうのです。

 学校一択のシステムならではの「不」登校というわけです。

 

社会の作った勝手な枠組みが子どもを苦しめてる・・。

本末転倒な気がします。

  

 


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